吉田拓郎 癌

吉田拓郎さんは、2003年4月に肺癌切除を実施

吉田拓郎さんは、1946年4月5日生まれで、フォーライフレコードの第2代社長であり、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサーです。

そんな吉田拓郎さんは、2003年に肺癌を患い、同年4月に摘出手術を行っています。

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吉田拓郎さんの芸歴、経歴

吉田拓郎さんは鹿児島県伊佐郡大口町(のちの大口市、現:伊佐市)出身で、その後、鹿児島県鹿児島郡谷山町(のちの谷山市、現:鹿児島市)に転居し、そこで小学2年生まで在住しています。

以降、広島県広島市南区西霞町育ちであり、両親は朝鮮羅南からの引揚者です。

吉田拓郎さんは、幼少期から喘息持ちで体が弱かったため、家にいる事が多かったようです。

そのため、本を与えられていたそうですが、音楽に興味を持ったためウクレレを買ってもらい音楽を始めています。
1962年に、皆実高校に入学し、インストゥルメンタルバンドを結成し、そこでもウクレレを担当しています。

1965年に広島商科大学に入学。カントリー&ウエスタン部と応援団に入部した後に、中学の同級生と新たにバンドを結成し、そこではドラムスを担当しました。

この年、メンバーと上京し渡辺プロダクションに売り込みに行ったそうです。
ただ、グループ・サウンズブームも未到来の時代であったため、相手にされなかったとのことです。

吉田拓郎さんは、1966年にコロムビア洋楽部主催のフォークコンテストにソロで出場。

同大会において、中国大会2位、全国3位となります。
また、1967年、広島見真講堂で開催された「第1回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」の中国地区大会ロック部門において、吉田拓郎さんは優勝を果たします。

さらに、翌1968年にも、「第2回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場し中国地区優勝。ヴォーカル・グループサウンズ部門において、全国4位となります。

吉田拓郎さんは、「広島フォーク村」という広島の3つのフォーク団体によるアマチュアフォークサークルを発案し、結成。

すると、レコードも出さないうちに、地元ラジオにリクエストが殺到したため、NHK広島に出演したり、中国放送でDJを担当したりしていたそうです。

吉田拓郎さんは、インディーズレーベルのはしりともいえるエレックレコードに、1970年4月に契約社員として就職しましたが、エレックレコードはまともな仕事を取ってはこれなかったようです。

吉田拓郎さんは、1972年1月にCBSソニーに移籍し、アーティスト兼プロデューサーとして契約を結び、移籍と同時に発売した「結婚しようよ」がオリコンチャート3位となり、レコード売り上げとしては40万枚以上を売りあげました。

それまでサブカルチャーだったフォークが、メインカルチャーへ浮上する分岐点になり、吉田拓郎さんは、「フォークのプリンス」として、女子中高生人気が高まっていきます。

1972年6月には四角佳子さんとの結婚式を、長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で挙げています。

1974年1月15日には、森進一さんに「襟裳岬」という楽曲を提供し、この「襟裳岬」が第16回日本レコード大賞を受賞した際、吉田拓郎さんは、上下ともジーンズという普段着で登場し、平然と賞を受け取りました。

アーティストの手による初めてのレコード会社である「フォーライフ・レコード」を発起

1975年6月1日、CBSソニーの吉田拓郎さんは、ポリドールの井上陽水さん、エレックの泉谷しげるさん、ベルウッドの小室等さんと共に、アーティストの手による初めてのレコード会社である「フォーライフ・レコード」を発起し、これを機に「吉田拓郎」と改名します。

同年12月、四角佳子さんとの離婚をオールナイトニッポン最終回で発表しました。

1977年、フォーライフは2年目の決算で8億円の赤字を出してしまい、6月には、小室さんに代わり、フォーライフ2代目社長に吉田拓郎さんが就任します。

同年7月には、吉田拓郎さんは浅田美代子さんと再婚。

1982年6月には、ツアー最中の株主総会において、吉田拓郎さんはフォーライフ・レコード社長を退任。

1983年には浅田美代子さんと協議離婚に至ります。
1986年12月には、森下愛子と再々婚。1988年1月1日には、プライベート・オフィス「宇田川オフィス」を設立しました。吉田拓郎さんは、2000年4月にインペリアルレコードに移籍。

2003年4月、肺癌手術のためコンサートツアーは延期となりました。

ただ、手術は無事成功し、秋には復帰コンサートで全国に元気な姿を見せました。

肺癌は、肺にできる癌であり、顕微鏡で癌細胞を見た時の形によって、小細胞癌と扁平上皮癌、腺癌、大細胞癌の4つに分類されます。
その中で扁平上皮癌、腺癌、大細胞癌は非小細胞がんと総称されます。

非小細胞癌は、早期に外科手術によって癌を完全に取り除くことが第一の治療法となっています。
肺癌ステージの3A期までで再発の可能性がない場合、広範囲に癌が広がっていない場合は、手術による癌の切除が行われます。

吉田拓郎さんは、2003年4月に肺癌切除を行っているとのことですから、ステージ3A期までの非小細胞がんであった可能性が高いのではないでしょうか。

吉田拓郎さんは、肺癌を手術で切除されてから、約半年でライブに復帰していますので、57歳という年齢で手術に臨まれたことを考えると、とても早い復帰に思われます。

また、復帰後は再発もなく、目安とされる5年間を経過されていますので完治されたいってよいのではと思います。

2006年以降は体調を崩されてしばらく活動をお休みされていましたが、2012年からライブツアーも行われ、現在もラジオ番組への出演など、活動を続けていらっしゃいます。

これからもいろいろな方面での活躍が期待できると思います。

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